2007年12月17日 06:10
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相田みつをが食えないとき、追い込まれて飛び込み営業したお菓子屋から受注した作品。老舗の主人の代弁だが、勿論、それはみつを自身のことでもある。そして、世の零細起業家・弱者への応援歌でもあり、「弱者の戦略=一点集中」を見事に表現。夕方会ったNさん。あれこれはもう止めよう。見栄を捨て、思い切って撤退しよう。大丈夫。だれも気にしてない。世間は自分のことで忙しい。
ほら、格好悪いところを見せるんだ。失敗しましたと宣言しろ。周囲は喜ぶ。そして、自分もホッとして助かる。時間あれば明日でも事務所に来てね。待ってます。Nさん。
天職
「私は無駄にこの世に生まれてきたのではない。また、人間として生まれてきたからには、無駄にこの世を過ごしたくはない。私がこの世に生まれてきたのは、私でなければできない仕事が何か一つこの世にあるからなのだ。それが社会的に高いか低いか、そんなことは問題ではない。その仕事が何であるかを見つけ、そのために精一杯の魂を打ち込んでゆくところに人間として生まれてきた意義と生きてゆくよろこびがあるのだ」 昭和35年12月みつを
・・ということは、相田みつをが36歳の時。60歳で初の著書「にんげんだもの」が出て、その後10年で100万部を越えて食うに困ることが無くなる、はるか以前の「明日の米どころか今日の米にもこと欠く」頃の、日々が極貧の頃の書。この書にあえて題を付けるとすると、オレの大好きな「天職」ではないか。
生協や書道教室の先生を捨て、30歳前後から「書で独立起業」した相田みつをだったが、個展や旅館への飛び込み営業だけではなかなか食えない。独自の「書」一本で食っていくと決意していたが、果たして、これがオレの天職なのかと悩んでいたのだろう。いや、一時期は書とろうけつ染めをミックスした菓子店の包装紙デザインなどから収入を得ていた相田だが、「書」だけで生きることが天職とは決めていたはず。
しかし、現実はギリギリの生活。自分では「これしかない!」が、対外的には「これが私の生きる道」とは言えなかったのか。いずれにせよ、苦悩と覚悟と希望と決意が入り交じり、なんとも味わい深い。誰もが同じように自分に言い聞かせた経験があるのではないか。35歳前後はそういう年齢であり、オレも2度目の独立は36歳の時で、当時の広告代理業が「俺の天職!」とは言えなかった。手がけた広告はもらった広告料以上の反応を叩き出し、自分の広告企画・コピーには自信はあった。しかし、なんとも言えない違和感があった。
それが何かは当時はわからなかったが、今ははっきりとわかる。それはいくら頑張って効果を出し、売上を上げても、所詮は広告「代理業」だったからだ。クライアントの代わりに広告物を仕上げてメディアに出稿する。当たり前だが、それは他人の天職創造の手伝いであり、下請だったからだ。相田みつをも食えないときは包装紙デザインをやったが、本業の「書」では、人から頼まれた言葉や書を書くことはなかった。自分が思う自分の言葉の「書」しか書かなかった。まさに自分オリジナル。
しかし、今気づいたが、相田みつをは食うためにデザイナーをやり、オレも食うために広告代理業をやっていた。オレは営業とコピーライティングだったが、なんと!同じ業種の仕事じゃないか。
★さらに驚くべきは、今、息子の一人さんが書いた「父 相田みつを」を読んでいたら、「・・父は収入のために個展を開いていたが、できれば売りたくなかった。・・・・では収入はどのように得ていたか・・・意外なくらい、父は若い頃から講演に出かけている。・・・書の作品の<凝縮>の高まりと、それを発散するための講演活動は、相関関係にあったような気がする。・・作品を生み出す緊張感を保つためにも、講演という解放の場の必要性が高まったのだろう。多いときには月に数回、毎週のように全国各地に出かけていった。当然、講演をすればいくばくかの謝礼をいただくことになる。現実的にはそれが収入となっていたのだろう」172p
なんとも、オレと相田みつをは似ている!素晴らしい!やはり、著書100万部は夢ではない。が、相田さんがそれを成し遂げたのは死後。オレは40代のうちに成し遂げたいね。
しかし、相田みつをとオレの決定的な違いは、相田さんはあくまで「書」を残すのが第一で、書を集めた本の出版はずっと断っていた。本の大きさに縮小された書は書ではないと。が、1980年56歳の時に、書に惚れた兵庫県川西市の米田建築が創立記念誌に書を特集した「雨の日には雨の中を 風の日には風の中を」が口コミで10万部を越え、その記念誌に打たれた松本瑠樹という原宿のファッションの仕事をしていた人が、なんと私費で編集制作し、文化出版局に持ち込んで生まれたのが、のちにミリオンセラーとなる「にんげんだもの」だ。他の書を含めると、累計500万部くらいになってるんじゃないかな。
相田みつをには金銭欲はなかった。最低限生活できれば、あとは人生のすべてを自分の「書」「言葉」を書くのに全精力を注ぎ込んだ。貧乏な頃も、成功?したあとも、どんなに金を積まれても頼まれても、他人から頼まれた言葉の書は書かなかった。勿論、書をまとめた本を100万部!なんて思ってもいなかっただろうし、売れた後もその手の欲にはまったく興味なかった。
(これはある意味、理想的な生き方。しかし、凡人が真似るとすぐに破綻だ。結果論だが、相田さんは書道業界の革命児・天才だった。そう。その生き方は清貧だ。女遊びもしたそうだが、こと仕事に関しては清貧を貫いた。清貧。素晴らしい生き方。仏陀もマザーテレサもガンジーも、その手の人は皆、清貧だ。しかし、その生き様を貫くには、相当の覚悟が必須。でもオレもその手のタイプなんだよな)
で、実はオレも、大きな声では言えないが、これをいうとまた妻が怒るし、30人の株主や様々な関係者に迷惑かけるのだが、はっきり言って最低限食え、たまに安い海外放浪できれば、それ以上の金にはあまり興味ない。食い物や服や住まいや車は最低限でいいし、中洲や女遊びにも実は興味ない。性欲はあるが、「ぷにゅぷにゅ」で充分。はっきり言って、時間が惜しい。勿体ない。年収目標も1500万とか書いてるが、普段の生活は年収300万で暮らせるし、年収500万なら毎年200万余り、それでたまに世界や日本放浪できればいい。
それも自分が好きなことを話す講演と本で食えれば最高だ。その合間に、独立起業に悩む人の相談に乗り、本人が望む収入が得られ、まさにこれが私の天職ですと言えるような人の、相田みつを的な起業家の、最低限の人生経営コンサルもしながら、「ありがとう」と言われ、でもそれは余興で金なんかいらない。売ってるDVDやCDも、本当は全部タダにしたい。講演料も印税も、本当は興味ない。
贅沢に興味はないので、あとは好きに自由に生きたい。相田光男(本名)のように、金のことは考えず、自分の好きな書や言葉を書き、結果として読者がなにがしかの救いや感動やヒントが与えられればいい。貧乏や挫折も大歓迎だ。その適度な苦悩と迷いが人生経営を考えざるえない状況に追い込み、さらなる作品が産み出せる。
・・・・なーんてことをたまに言うと、小学生の子供を抱えて日々現実生活を営んでいる妻は「どうでもいいけど、あなたの好きなようにやっていいけど、最低限のお金は稼いで!今後は食費も教育費もかかるんだから」というが、妻も贅沢には興味ない。だから今までもそうだったが、本の印税や講演で最低限食えるようになると、次から次ぎにボランティア接近戦が増えまくる。今もそうだが、そんな時には本の依頼も山ほどいただく。
が、接近戦を最優先し、かつ、同じ書くことでも本ではなく、リアルタイムに双方向の接近戦ができるこのブログの方が遙かに面白く、結果、本を書くことは後回しになり・・・。
★いつの時代も起業・企業経営の5~7割は赤字。ということは、社長の実質年収は300万円以下がほとんどで、かつ、それも借金でなんとか回しているというのがホントのところだと思う。「先生」と言われる士業やコンサルの実態もそんなもん・・・というか、俺の勘では平均100万円代だと思う。営業しないしエラソウだし。先生系はサイテーな人種。残念ながら、世の大半の社長さんは貧乏自営業で、中堅以上の安定した企業や公務員よりも実質年収は低い。
数日前の政府系起業家輩出機関「ドリームゲート」メルマガで「社長の平均年収は3000万円」とあったが、そんな馬鹿なと調べると、やはり出典は上場企業とそれに類する会社の平均だった。そうだろう。世の会社のほとんどは年商1億円以下で、さらに5000万以下が大半だ。年収の実態は300万円だろう。でも、オレはそれでもいい。自分が満足する仕事で、「これが私の生きる道!」「天職!」と堂々と言え、思え、周囲からも「ありがとう!」と感謝される。自他共に、オレが本当に応援したいのはその層だ。いわば、いわゆる「貧乏だけど天職に生き、元気で明るく、周囲にも感謝されて愛される弱小起業家」。これだね。
★先週も会ったね。その人は昔、事業で大きな挫折をしたが、1999年~2000年の「ベンチャー大学・特別版」がきっかけで竹田先生+稲田先生の元で弱者の戦略を学び、夫婦で数坪の店を再開。
弱者の8大戦略の商品・地域・客層・営業・顧客・時間を完璧に実行し、今は無借金で数ヶ月分の貯金もでき、年に数回は安いアジアの旅に出るほどの逆転を果たした。が、今も生活は超質素で、昼飯はご飯は普通だが、おかずは買ってきた弁当の分を夫婦で分けて食っている。「そんな生活を10年近く続けています」と、なんとも幸せそうな笑顔を浮かべていた。詳細は話せないが、商売の仕組みと実行継続は完璧だ。油断さえしなければ、「お客が潰さない」だろう。そんな場面をオレは店頭で何度も見た。
本気の人は11~20時に一度訪ねて。衣服バッグ貴金属のリサイクルショップ「スターポート」。売り買いのどちらかでお客になり、「栢野の紹介」と言って身分を隠さず頭を下げれば、それはそれは驚くべき「弱者必勝の実録(でも、本気なら誰でもできることばかり)」を親切に教えてくれる。先日の「経営計画セミナー・次回は2008年2月」に参加した姪浜のうつわ屋「フランジパニ」地蔵は、教えた翌日に飛んでいって「目が覚めました!今日から変わります!」ともの凄いメール連絡と電話があった。
はっきり言って、俺らクソコンサルやセミナーや本を遙かに越える衝撃と感動と学びがある。こんな具体的で貴重な情報はないぞ。紹介するには近況を見なければと、オレも先週末に訪問したばかり。相変わらず凄かった。ピンと来たらすぐに行動するのだ。飛び込みで構わん。机上の空論より、実際にやってる本気の人に会えば自分も動く。それが接近戦の最大の効用だ。でも、ノウハウ聞くからには最低限5000円は何か買って欲しいね。会えば5万円の価値はある。罪滅ぼしに嫁さんか彼女へのプレゼントでもどう?→西鉄・薬院駅から徒歩3分・地図
オレが応援したい、関わっていきたいのはこの層。富裕層には自他ともに興味はない。そうだな。寅さんの映画に出てくるような、下町の頑張る零細企業の社長だな。零細起業・零細企業コンサルタント。これだね。相田みつをのように言葉で人に元気と感動を与え、でも、相田みつをよりは零細企業に最低限の生活を実現できる具体的な弱者の戦略と事例とアドバイスができる。