2008年09月05日

学歴で決まる人生


学歴で決まる人生

【人生は逆転できる!】 
その4 <社会人編>



■1社目。大企業への就職と失敗



人生は学歴と一流企業への就職で決まる 



 私の高校時代の偏差値は55から60。学力は中の上と言ったところでしょうか。塾にも行かず、自宅でトレーニングペーパーというドリルで勉強し、大学受験で合格したのは京都の立命館大学。当時の偏差値が55前後の経営学部でしたが、立命館大学は関西私大の有名大学「関関同立」に入っていたこともあり、世間の評価はまあまあ。学力を上・中・下で分類すれば、自分は「上の下」か「中の上の上」だなと思っていました。



 オヤジは私が高校2年の時に亡くなりましたが、昭和6年生まれで神戸大学を卒業し、「福岡シティ銀行(現、西日本シティ銀行)」では30代で取締役に昇進。いわゆる高学歴・大企業エリートサラリーマンとして成功していた父を間近に見て、「人生の成功とは、高学歴の有名大学に行き、大企業に就職して出世すること」と思っていました。



 イコール、人の価値は偏差値で決まる。だから、京都で京都大学の学生に会うと猛烈な劣等感を覚え、同志社大学の学生には偏差値で少し負けているが、同じ「関関同立」だとライバル心を燃やし、偏差値が下の大学生や高卒の人間はバカにしていました。



(この価値観は今も根強いでしょう。そういう世界にいる人には。進学塾や予備校の隆盛、採用時の学歴・学校差別は大企業・役所で厳然とありますね。逆に、自営や歩合や実力主義のベンチャー、独立起業の世界では関係ない。特に、起業は。お客にとっては関係ない。東大だから買うか。あり得ない。が、高学歴大企業相手の商売の場合、ケースによってはありますね。この偏差値主義を助長するのが塾やマスコミ。週刊誌でよくある、出身大学別出世ランキング。まあ、あれは上場企業の役員が対象ですが、これがほぼ偏差値に比例している。私はこの後も転職で失敗しまくるのですが、その度に出世ランキング表を見て、オレはまだ大丈夫かもと、何度も慰めました。実力がないやつには、学歴が拠り所となるんですね。以前の勤務先である中小企業にもいました。何かあると、スグに「ボク、九大」。その会社は全体的に学歴が低く、皆で競って虐めましたね。大企業のサラリーマン社長は高学歴。が、中小の創業社長は低学歴で職歴も汚れている。就職や転職に失敗しても、創業・起業で人生は逆転できるのです。というか、それしかない




 そして就職活動。大企業で一部上場の有名企業に就職するのが人生の成功だと、NEC、総合商社の兼松、松下電器貿易、大沢商会、内田洋行を受けましたが、ことごとく惨敗。仕方なく、行けば受かると言われていた証券業界を滑り止めで受け、日興証券と山一証券から内定をもらいました。



 日興証券に行こうかと考えていたとき、ヤマハ発動機から入社試験を勧誘するDMが来ました。私は学生時代にオフロードバイク(スズキの中古ハスラー250cc)で日本各地をツーリングする旅によく出て、オートバイには馴染みがある。かつ、ヤマハと言えば関連会社で楽器やスポーツ製品も作っているし、とにかく超有名企業でカッコイイ。ダメモトで筆記と面接試験を受けたところ、なんと合格!



 ヤマハ発動機も日興証券も一部上場企業で有名企業。どちらにしようか迷ったのですが、女の子にモテそうなのは、バイクやヨットでイメージのいい「ヤマハの栢野」だと勝手に解釈。日興証券を辞退し、就職はヤマハ発動機に決めました。



●ライバルはバカばかり。勝てる。





 これで「(有名大学の)立命館大学卒、(有名大企業で一部上場会社の)ヤマハ発動機の栢野です」という肩書きが決まった。高卒や三流大学で無名企業に就職するヤツに比べ、俺は確実に人生の成功コースに乗っているなと思いました。



 ただ、少し心配だったのが、ヤマハ発動機の同期生のレベル。超有名企業だから、相当な大学のヤツらばかりだろう。俺は勝てるだろうかと。



 ところが、内定者研修に集まった約200人は、国立一期校はぼぼゼロ。上は早稲田あたりが一人二人いる程度で、他の上位大学は東京六大学の下のレベルである法政とか学習院、関関同立も偏差値の高い同志社や関学は数名程度で、大半は名前は知っていても三流四流大学か、聞いたことのない大学ばかり。
 これは意外だ。天下のヤマハが、なんでこんなバカ大学出身者ばかりなのだ。しかし、結果として、俺はこの内定者の中で、偏差値では上のグループだ。頑張れば出世できる。部長、取締役、いや、社長も夢ではないかもと、俄然、出世欲が出た。



 本社のある静岡県磐田市での2カ月の研修中、夜遅くまでビジネス書を人一倍読み、新人研修の発表大会では私がリーダーを務めたグループが最優秀賞を受賞。配属先も、出世するなら中央に出るのが有利だろうと東京を希望し、東京支店へ配属決定となった。



 ある有名大学のヤツが研修中にノイローゼになって退社した。また、別なヤツは工場実習で機械に挟まれて腕を落とした。と聞いた。「そうか。可哀想に・・」と思う反面、これでまた一人ライバルが減ったと思った。


 レースはもう始まっていたからだ。



●仕事内容より会社のブランドが大事



 研修センターでの机上と工場組立ライン研修が終わり、いざ、現場の仕事場へ。私の配属先はヤマハ発動機(株)東京支店管轄、ヤマハ東京(株)多摩営業所。つまり、ヤマハ発動機の販売子会社へいきなり飛ばされたのだ。一瞬ギクッと思ったが、俺一人ではなく、新卒採用の文系採用は全員。後から知ったが、メーカーの場合、文系採用の営業職ではよくあるケースだった。



 ヤマハ東京(株)多摩営業所は東京都府中市の刑務所のすぐそばにあった。所員は約25名。所長の他、営業、事務、技術メンテナンスの面々。新卒での配属同期は、IとN。俺は偏差値で少し勝っていると思った。


 さて、実は社会人になるまで知らなかったのが、営業という職種。研究開発、工場生産、企画、宣伝、マーケティング、営業、事務、保守サービス、法務、海外法人、その他。会社は様々な職種から成り立っているが、当時の私のイメージは就職ではなく就社。



 つまり、職種はある程度どうでもよく、文系エリートの場合、営業や事務や企画や広報など、様々な職種を経験しながら、管理職や部長や取締役になっていくのだろうと、漠然と思っていた。だから、営業という仕事には特別なこだわりもなく、どんな仕事内容かも知らなかった。まあ、物を売る仕事なんだろうな。



 身近では、スーパーや百貨店の店頭販売の仕事があるが、ああいう店員なんかはレベルが低い仕事だと思っていた。人に愛想良く、もみ手をしながら物を売りつける・・・っていうのは嫌だなあと。学生時代までの仕事の印象はそういうものなのかもしれない。まあ職種はなんだっていい。入れば何とかなると。



 営業所に配属されて数週間、先輩営業に同行してバイク屋さんや自転車屋さんを廻った。「どうもこんにちは!ヤマハの栢野です!よろしくお願いします!」。よろしくとは言っても何をお願いするのか。それにヤマハの栢野ではないな。正式には、ヤマハ発動機の子会社であるヤマハ東京(株)に出向の栢野だ。なんか格好悪いな。早く、せめてヤマハ東京(株)の本社事務部門、その上のヤマハ発動機(株)東京支店へ行かねばと思った。



 営業とは何をするのか、この時点でもよくわかっていなかった。というか、早くこんな現場から足を洗いたいと思った。「なんか合わない」ことが多かったのだ。社内では修理メンテナンスの人間、バイク屋の親父・・・どうも合わない。大体、そういうヤツは学歴も教養もなく、元不良が多い。中学時代に不良から受けた虐めによる偏見か。そう。俺は油まみれの修理などをする肉体労働者を嫌悪していたのだ。



●営業の仕事とは



 日々の仕事でわかってきたが、我々、ヤマハ発動機販売会社営業マンの仕事は、一台でも多くヤマハのオートバイを売ること。それも一般のバイクに乗る人に直接売るのではなく、小売店であるバイク屋さんや自転車屋さんへの卸売り。一部の専門店を除き、バイク屋さんはホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキのバイクを販売している。



 我々営業の仕事は、いかに自社のバイクを店に買い取ってもらうか。他社のホンダやスズキより多く、在庫として持ってもらうか、店頭に数多く並べてもらうか。バイクメーカー4社の内、バイク屋さんにはヤマハのファンになってもらい、店頭に来た最終消費者の方にヤマハのバイクを薦めて買ってもらう。



 メーカーとしては研究開発と商品企画でより良い製品を製造し、それをテレビCMやバイク雑誌などでマスコミPRをする。実際には、消費者はヤマハやホンダのメーカーからではなく、小売店である町のバイク屋さんで買う(この構造は一般消費財メーカーの場合、ほとんど同じだ。車、家電品、食品、酒、ファッション、雑貨などなど)。



 大型バイクなど一部のマニアな消費者は、バイク雑誌や口コミで買う車種を決めているが、数の出る原付バイクなどは消費者も知識は少なく、大半は店頭で見て、店員から話しを聞いて薦められたりして、どのバイクを買うか決める。



 つまり、商品が売れるかどうかは、①商品そのものの力(バイクで言えば、パワー、機能、燃費、デザイン、価格、イメージ、他)、②CMや雑誌での宣伝・マーケティング、③全国への販売網の広さと多さ、④キャンペーン、⑤バイク店での店頭宣伝、⑥店頭在庫の多さ、⑦店員の接客販売の仕方、他となる。



 このうち、①から④まではメーカー本社の範疇で、現場の営業レベルの仕事の中心は⑤⑥⑦に関わること。つまり、バイク屋さんに、店頭で他社よりも多くヤマハのバイクを並べてもらい、接客においてヤマハのバイクを薦めてもらうか。そう仕向けるために、普段のつき合いが大事になる。



●自社よりライバル会社に惚れた



 結論から言うと、私はこの小売店相手の営業ができなかった。それ以前の問題で、私はヤマハのバイクに惚れることが出来なかった。私は、バイクならホンダが良いと思っていた。それは今もそうだ。エンジン性能、価格、デザイン、会社の姿勢、イメージ、すべてにおいてホンダは素晴らしいと思う。



 つき合う相手の幸せを考えると、バイク屋にとっても、消費者にとっても、買うならホンダが良いと思ってしまった。これはヤマハの営業マンとしては致命的。が、客観的にはホンダだと思った。劣る物は売りたくない。


 が、こういう姿勢や考えは態度に出るもので、私は積極的に、自信を持って自社の商品を薦められなくなった。営業マンとしてはサイテー。会社から給与をもらう以上、自社商品を売って利益を上げねばならない。なのに自社より他社商品に惚れているのだから、どうしようもない。



 私が入社した前年、ヤマハ発動機は絶好調だった。原付のパッソルが売れ、売れ行きのいい250ccでは、RZという2サイクルパワーもバカ売れ。単月だったがヤマハがホンダを二輪の売上シェアで追い抜き、史上初の二輪ナンバーワンメーカーになった。その勢いに乗り、私が入社した年は文系だけで200名前後の大量採用だった。



 ところがその年、ホンダが本気を出した。今までのヤマハの売れ線に、ホンダはことごとく、強烈な対抗車種をぶつけてきた。原付はタクト、250ccではVT、オフロードではXL。ホンダは毎月新車種を出した。まさに怒濤の勢い。ヤマハは虎のしっぽを踏んでしまったのだ。後年、HY戦争と言われるバイク戦争となった。



 ヤマハの社員として、サラリーマン、営業マン失格者の私は、ホンダのバイクに惚れ込んだ。口には出さなかったが、バイク屋の店頭でホンダのバイクを目にする度、この原付バイク「タクト」の色つや、製品の完成度の高さはどうだ、4サイクルで燃費も良い。このVTに至っては、4サイクルの250ccで、パワーに勝る2サイクルのRZと並んだ。当然、燃費も良いし故障も少ない。美しいVツインエンジンのデザインも最高だ。



 それに比べ、ヤマハのパッソルはオモチャみたいだ。RZ250は暴走族に多いし、2サイクルだから音がうるさく排煙も多い。こりゃダメだ、製品としては・・・・こんな評論家になっては、俺はヤマハの社員としては失格だ。



●クダラナイお客とは話したくない



 この評論家気質に加え、実は私はバイク屋の親父が好きになれなかった。聞いてはいないが、どうせ学歴は中卒や高卒だろう。店頭にバイクを並べるだけで、あとは油まみれになって修理をする。服は汚い作業着。話す内容は、競馬や競輪や女の話。くだらない。人間としてサイテーの部類だ。



 俺はこんなヤツらと話している時間はない。早くこんな現場を脱出し、本社の管理部門へ行かねば・・と思った。が、しかし、今はこいつらに頭を下げてヘイコラしなくちゃねえ。仕方ない。



 あとから考えたら当然だが、こんな考えは態度に出るのだろう。バイク屋の親父には嫌われた。こっちも嫌い。バイク屋の親父に会うのが嫌だった。会っても話すことはない。バイクのことは俺よりも詳しい。俺には値引きやその他最終決定権はない。単なるお使いみたいなものだった。



(同じ頃、同期の優秀な鬼塚晃は、新入社員でもお客に役立てることはないかと、スーツを脱ぎ捨ててツナギでバイク屋を廻り、店頭バイクの掃除をしていたと20年後に聞いた。彼は現在、去年上場した英語のアルク関連会社の取締役。心構えに雲泥の差があった)



 そもそも、バイク屋の親父のような中小零細企業商店の親父は尊敬できなかった。どうせ、こいつらは勉強が出来なかったんだろう。だから、こんな汚い地べたの現場で仕事をしているのだ。俺は高学歴で大企業に入ったエリートのホワイトカラーだ。本来はこいつらが俺に頭を下げるべきなのに・・・・。おかしい。悔しい。屈辱的だ。


 バイク屋では、ライバルのホンダ、スズキの営業マンにも会う。実は彼らは皆高卒だった。ホンダやスズキも、実際にバイク屋を廻るのはメーカーの社員ではなく、販売会社の社員。ヤマハは販売会社も大卒だった。つまり、ヤマハは同業他社が高卒で採用してる現場の営業マンを、大卒のメーカー採用で販売会社へ出向という形だった。こちらは大卒で、ライバルは高卒。ヤマハ発動機の同期に有名一流大学のヤツが少なかったのはそういうわけだ。謎が解けたね。



 車業界で言えば、俺がやってる仕事は車の販売会社、ディーラーの営業と同じだ。どうせ辞めるのだからという前提の職種。ヤマハ発動機には受かったが、実は高卒と同等の仕事をさせるための大量採用で、最初から学歴や知力は期待されていなかったのだ。



 しかし、私はこのライバルの低学歴者にも負けた。バイク屋に対する営業で、営業といってもバイク屋と仲良くする=くだらない話をするルートセールスだったが、バイク屋はヤマハの私と会うより、ホンダやスズキの営業マンと会うのが楽しそうだった。それは私も同じだった。バイク屋の親父と会うより、他の本を読んだりした方が勉強になる。こんな考えをするだけでまたも失格だ。



●ついにノイローゼになる



 私はヤマハのバイクが好きになれない。ヤマハよりもホンダが良いと思う。バイク屋にとっても、消費者にとっても、良いのはホンダだ。かつ、バイクは果たして何か社会貢献しているのか。原付バイクあたりは実用的だが、スポーツバイクは単なるレジャー。バイクは危ない。車の方がいい。早いバイクは暴走族に使われる。バイクを売ることは、俺がやっている仕事は反社会的なことにつながるのではないか。



 仕事自体、週に1~2回、テリトリー内の同じバイク屋に顔を出すルートセールス。話が合う取引先はない。賭事や女や遊びなど、くだらない話はしたくない。が、そんなことはもちろん言えない。営業で嫌々ながら顔を出し、嫌いな親父がいなければホッとして、いれば愛想笑いでお茶を濁し、「お願いします」と頭を下げるだけ。


 月末になると、お願い営業でバイクの買い取りをしてもらい、それはバイク屋の店頭に座って粘るだけのお願い営業で、販売促進とか企画とかその手の策は何もなく、ただ日々がツライだけ。



 これは何かが違う。ひたひたと忍び寄る劣等感。挫折感。絶望感。高卒のバイク屋に負け、ライバル会社の高卒営業マンにも負けた。さらにヤマハの同期である、立命館大学より偏差値の低い同期にもことごとく負けた。とにかく、毎日がつらい。



 お客であるバイク屋を廻る頻度が少なくなり、車でさぼる時間が長くなってきた。さぼるというか逃げだ。どうすればいいか、誰にも相談できない。相談すれば良かったのかもしれないが、上記のようなことは会社の先輩にも同期にも相談できない。出世のためには、仕事が嫌だ、仕事ができないということは隠さねばならない。



 気づけばノイローゼになっていた。現場に配属されて2カ月くらいではなかったか。4月と5月の研修が終わり、6月から現場に出て・・・・あれは8月末か9月の初めだったと思う。メーカー本社の新入社員フォロー面談で、苦しさを隠しきれずに「・・ダメです・・」と弱音を吐いた。



 人事担当の顔色が変わるのがわかった。面談でこんな言葉と態度を示してはマズイ。確実に出世に響く。でも、俺は憔悴しきっていた。その後、寮に閉じこもり、初めて出社拒否もした。会社に行きたくない、仕事をしたくない。俺はもうダメかも知れない。



 そして入社した10月のある日、私は夢遊病者のようになり、気づけば辞表を渡辺所長に出していた。



●逃げることだけを考えた



 「バカ野郎!」



 大きな声で怒鳴られ、怒られたのを覚えている。こんな挫折経験は生まれて初めて。もうお終いだ、辞めるしかない、とにかく逃げ出したい。先のことなどは何も考えられない。



 こんなダメ社員だったが、なぜか慰留され、12月を迎えて2度目の辞表提出。



その2カ月の間は何をしていたか全く覚えていない。



いや、その2カ月というか、仕事に悩みだした8月以降の5ヶ月間は、まさに夢遊病者のような日々だった。



つづく


Posted by ベンチャー大学の栢野/かやの at 07:25│Comments(0)
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