2008年03月22日

ガン体験記

ガン体験記

★以下の原因の何割かはオレにある。が、ありがちな「旦那が好き勝手で嫁さんがストレスで・・・」とか思わない。7割は。が、妻に負担をかけ過ぎも事実。これはOOOOOの最大のチャンスだ。が、「もっと稼いで来て!」なので、カヤノへの講演依頼はヨロシクお願いします




以下、ガン・脳・心臓の病・・統計上は7割の人がいつか体験することです。




女ひとり世界一周&子連れバックパッカー放浪記  (2007年10/10メルマガ)


今から入院します。

家族で世界一周後、とにかく念願の夢、「それゆけ小学生!ぼくたちの世界一周旅行」
(仮題)本を書き上げることができました。(今年の冬出る予定です。お楽しみに!)

人生を変えたい、と、いろんなムリをしましたが、ちょっと疲れて、休みたいと思っていたところ・・ガン告知されました。おったまびっくりでした。



早期なので、人生を変えるよい機会にしたいです。それでは、今回は、ガン告知から、今日の入院まで。



43歳の誕生日、私は”ガン”と出会った



(2007年9月5日告知~2007年10月10日入院)

「ガンです」


医者はめちゃめちゃあっさりそう言った。

目の前にある、CTスキャンの写真を見ながら。

2007年9月5日。5日後は私の43歳のハッピーバースディ。普通なら、
いつもなら、誕生日に向けて、運気が高まる?はずの頃(と信じているのに)、
今年の私が受けたのは、ガンの告知だった。

病院の先生の説明はたんたんと続いた。聞き漏らしてはいけないと思いながら、
でも、先生の声がところどころ遠くなった。涙が1すじ、また1すじ、
こぼれた。

(こんなにアッサリ言うんだね・・
そっか、さっき、診察の前の問診記入用紙で、”本人に告知する”を
丸で囲んだもんね・・・)

説明はこう。
早期の腎臓ガン。
これから転移がないかどうかなど、いろんなことを調べなくてはならない。
腎臓は2つあるので、転移がなく、残す腎臓の1つの機能が問題なければ
ガンがある腎臓は摘出するのが、手術的にも、術後の経過にもよい。

この日は、私が12年来、月1でやってる「旅の茶話会」という
旅好き人間の飲み会の日だった。

ガン告知、数時間後、多少グラグラの神経で、でも、みんなに冷静に?
ガンの話をして、しばらく「旅の茶話会」はお休みさせてもらうことにした。


●9月8日・9日(土・日)
子供たちが入っているサッカークラブの合宿の日。

先月8月5日、6年生の長男が、ひどい感染性腸炎になり、11日間も入院し
たので、体力が回復しておらず、心配なんで、合宿に同伴させてもらうように
なっていた。

もともとやせている長男は、入院・絶食で、さらにやせ、退院後も、
「しんどい」と寝てばかりだった。

大体、かかりつけの内科から、救急車で
搬送されたときには、食べ物による細菌性腸炎だから、2、3日も入院すれば
よくなる、と言われていたのだ。しかし、3日経っても、1週間経っても、なかなか
直らなかった。炎症をしめすCRPは22とかを示し、(普通はゼロ。5でもかなり
痛いのらしい)、白血球も普通の3倍も。

実は長男はこれに似た、これよりは軽かったが、世界一周中のジンバブエで、
急性腸炎になっていた。また、この腸炎を繰り返す難病(10代で発症するのが
多い)クローン病とかいうのがあり、また、このクローン病の知り合いがいて、
かなり、心配だった。クローン病はストレスからなるらしく・・・・。

4年生から、1年とんで、いきなり6年生という最高学年になったことで、多少
プライドが高い長男が、自分にムリをしたのではないか、と思ったり・・・
世界一周という貴重な経験はしたかもしれないが、普通の小学5年生が経験する
なかで育つはずの日本の常識?みたいな点が育ってなくて、それなのに、
遅れを取り戻せ!がんばれ!ちゃんと!とばかり言っていて、すごいストレスを
つくってしまったのではないか・・・・・とか。

で、心配しまくっていたのだ。

でも、新学期とともに通常生活に戻り、サッカーを長時間やれる体力は戻って
ないと思っていたが、合宿メニューをどうにかこなすことができ、ほんとうに
よかったー。ほっとした。

そう、ガンになったのが私でよかったのだ。長男でなくて本当によかった、
子供が病気になるぐらいなら、私が全部ひきうけてやる!


●9月10日
ガン告知、転移があるかないか分からない中、43歳の誕生日を迎えた。
今日は骨と胃の転移を調べる日。実は、少し、不安だった。

胃はしょっちゅう痛くなっていて、胃薬は手放せなかったし、
最近では、あちこちの関節が痛いのが気になっていた。

だいたい、ここ4年あまり、体調は悪くなる一方だった。体はいつもだるく
頭は重く、アレルギー性鼻炎は年々ひどくなる・・・。頭痛も肩こりも内臓の冷えも、
最近では腰や背中の痛みもひどかった。

かといって、自分がガンだとはまったく思っていなかった。

ウツ病再発か、自律神経失調症、更年期、どっちにしろ、自分自身が、私の心が作り出す
不調だろう、と。

しかし、ガンだったのだ。

骨シンチという検査と、胃カメラをやった。
転移なし。
きっとこれが神様がくれた、43回目の誕生日プレゼント。

●9月14日
大腸の検査。
朝から病院へ行き、2リットルの下剤水をのみ、10回以上、便がきれーな水溶に
なるまで、人工下痢。めっちゃしんどい。

そして、肛門から、カメラをいれる。
ふと、名前を呼ばれて見ると、長男入院時にお世話になった金医師がいた。
「金先生、おかげで長男元気になっています。今度は私がガンが
見つかっちゃって・・」
「ダイヘンでしたねー。びっくりしましたよ・・。」

検査が始まり、同時に空気をいれるので、腸がパンパンに、
とび出そうになりながら、イタイというか、苦しい検査を終える。
検査後1時間、空気がある程度出るまでが、検査中より苦しい。
大腸も転移なし。ポリープもなし。

あとは、腎臓の検査。腎シンチ、24時間尿検査、血液や肺レントゲン。
同時に、ダンナ同席のもとの手術の説明を25日にすることに。

また、入院・手術の予定を決める。


●9月15日
実家に電話。ガンのこと話そうと。
まだ親に話していなかったのだ。心配をかけたくなかったから。

しかし、転移はないことがわかり、手術日のメドがたち、電話をかけた。
父親が出た。

「ガンだけど、心配ないから、腎臓は2つあるから、ひとつとればいいんだって」
と言う私の話を父は、だまってきいた。

子供がガンになるということは、おそらく、とてもつらいことと思う。

私も、長男が入院したときは、自分がなればいいのにと思い続けたし、
私のガンが分かったときも、ガンが子供たちでなくて本当によかったと
思った。

いつまでたっても、自分の親さえ、安心させてあげられない。
親不孝ものだ。

●9月16日
気分は時々不安定になる。自分のこと、家族のこと。

私が入院している間の、子供たちはどうなるのだろう。

こういうとき、やはりお金があったら、と頭をよぎった。

たくさんお金があったら、ヘルパーさんやお手伝いさんをやとうことが
できる。

少しお金があったら、毎日の食事だけでも、手配することができる。

しかし、残念ながら、我が家には、そんなお金がない。

実は、ガン保険にも入っていないので、手術入院にかかる費用がおそろ
しいぐらいだ。

帰国後、そろそろ、ガン保険、入ろうと思っていたのになあ。


●9月18日
子供たちの学校の担任の先生に、連絡ノートに、ガンのこと、入院や手術
の予定、入院中の子供たちの生活のこと、よろしくお願いしますと記す。

私がいない間、子供たちにどういう変化があるだろうか。
食事も、生活も、目に見えるものは、みだれるだろう。
また、目に見えない、心の問題もある。子供たちはどう変わるだろう。

我が家は本当にまとまり?がない。団結心もない。みんなわがままで、自己チュウ。
1年間世界一周で、協力しあいまとまりたい、助け合えるようになりたい・・・そう
思い続けていたけれど、そうはなれなかった。

今までも、我が家の子供たちは、ときどき、問題を引き起こしている。
とんでもないコトをやらかす。
私は、問題を起こす子供たちの保護者として、いつもあやまってばかりだ。
しつけがなっていない、グザリくる言葉だ。

そう、突拍子もないことをするのだ。想定外のことを。
もちろん、理由なくあばれるとか、友達をなぐったりするわけではなく、なにがしの
理由があることはあるのだが・・。

だから、とても、子供たちを心配している。

子供たちは、「お母さん、ぼくたち、がんばる!」と言ってくれている。
きっと、がんばってくれると思う。きっと、だいじょうぶ。

自分に降りかかるすべての事には、何か理由があっておきている。
乗り越えられない壁はない。
あきらめてはいけない。


●9月19日
母と電話で話す。
心配性の母は、父から話を聞いて、ショックで寝込んでいるのかと思って
いたが、そうではなかったらしい。

母は、もう10年以上、リュウマチをわずらっている。
痛みを伴うリュウマチと共に生きてゆくことは、並大抵ではない。

だから、母は、してあげたいけど、何もできないと言った。

大丈夫。私は母に言った。せっかくのいい機会だから、家族でなんとかする。
子供たちは、この機会にいろんな家のことをできるようになり、
ダンナはすこしでも子供たちとかかわり、家のこともするようになって
ほしいから。世界一周でも団結できなかったぐらいだから、たった2、3週間の
入院でどうこう変わることはないかもしれないけど、これを、いいチャンス
にしたいから。

母は最後に、「あなたの心は大丈夫?」と聞いた。
私は、「ぜんぜん大丈夫よ」と見栄をはった。

●9月20日
今日は、すばらしい女性に、次々、3人に逢う。
本気で心配してくれる人がいることが、本当にありがたいと思う。

3人とも、病気の心配というより、私の長年続いている苦しみを
知っているからこそ、今回のガン発病に、驚き、心配してくれていた。

腎臓のガンは、なんでなるんだろうか・・。

私には、ムリなガマンをするクセがある。
争いがきらいで、穏便にすませようとするから、つじつまあわせに、自分がガマン
してしまう。
ガマンにガマンを続けて、言いたいことが言えなくて、苦しいのに苦しいと言えなくて、
つらいのに悲しいのに、笑っている自分がいて、元気なふりをする自分がいて、
つかれてしまっていた。

傷つくことが怖くて、傷つけられると思うと怖くて、恐怖にとらわれて、心をとらわれて
すべてをあきらめてしまっている。
こんなんじゃダメだと分かっているのに・・そんな自分を変えられない。

だから、ガンと聞いた瞬間はガーンときたが、だんだん、それもいいか、と思えるように
なっていた。
だから、こんなに落ち着いていられるのかもしれない。

3人目に逢った友人は、ずっとこういった。
「がんばらなくてもいいよ。もう、がんばらんでいいからね。」と泣いてくれた。
その言葉は、とても温かく心にしみた。

●9月21日

本当は、だれにも会いたくない。笑顔なんて作りたくない。そう思いながら、今日も笑顔を
作っている。疲れた・・・


●9月22日
朝起きたときから、調子が悪い。

●9月23日
昨日よりさらに調子が悪い。背中、右腰が痛くてたまらない。頭痛も続いている。右肩も、
右手も、右の足の裏・・・関節も、痛い。
ガンが進行しているのではないか、どこかに転移したのではないか、などと思う。

●9月24日
腰が痛くて眠れなかった。どうしたのだろう。

しかし、自覚症状が出るほど進行はしていない、のらしい。
念のためにマッサージはしないほうがいいと先生に言われているので、もう、全身が
こってこってそのせいだろうか・・仕方ない。

あすの腎臓検査のための、24時間尿取りをはじめる。

●9月25日
血液、24時間尿、レントゲン、心電図、肺機能検査、腎臓シンチ、とたくさんの検査。

腎シンチというのは、左右の腎臓がちゃんと機能しているかを調べる検査。

放射線を含んだ注射をして、ずっと寝てて、腎臓がろ過機能調べ。

腎臓のモニターを見ながら、腎臓がいとおしくなってきた。

かわいそうな腎臓。

あとすこしで、切り取られて捨てられてしまう腎臓・・・

生まれて43年も働いてくれた腎臓・・・

機能的にはなんの問題もない優秀な腎臓・・・

と思うとまた涙がこぼれた。

午後、4時、先生と手術の詳しい説明。「ご主人も呼んでください」と言われていたので、
ダンナと待ち合わせて、診察室へ。

先生は、今日は、とにかく、ことこまかに説明を始めた。

まず、ガンのこと。
先生は今日は「ガンの疑いがある」、と最初に述べた。
ダンナがいるせいであろう、先生はとても慎重に話しているように思えた。私には、
最初から、ガンです!と言ったけど。

それは、私が説明を受けたように、腎臓にできる腫瘍は90%は悪性であること、
良性である可能性が10%あること、腎臓腫瘍は悪性が良性であるかを判断するのは
むずかしい。腫瘍に針をつきさして細胞を調べる方法があるが、針をつきさすことで
ガン細胞はひろがり、リンパ節にも広げてしまう。また、腫瘍のみを切除する方法は、
腫瘍ができている場所が、やっかいな場所のため、血管や尿管などまわりを傷つけな
いためにも、この場所では、全部摘出するのがいいと思われる。また、部分切除より、
全部摘出の方が、手術的にも、術後の回復もリスクがすくないこと。

しかしながら、10%良性の可能性があるのは否めない。摘出して細胞をしらべないと
それはわからない。良性であれば、腎臓はムダになるということだ。その可能性がある
ということ知った上で、摘出するかどうかをきめるのは本人であることも。

経過を見る、という方法もある。腎臓のガンは進行は早くないので、大きくなるようであれば
とる、という選択。しかし、経過を見ても、大きくなるとかならないとかでは、悪性か良性
かの判断はできないことにはかわらない。90%悪性だと思われるものを、経過を見るのは
リスクも大きくなる。

そして、初めて聞くのが、手術の具体的な内容。麻酔、手術の方法、どうやって腎臓
をとるのか、手術の一番大変なところ、4時間にわたる手術、もしも・・・のときに
必要になる輸血の準備、傷口のこと、術後の状態など。

あまりに詳しく説明してくれて、かなり時間も経過してて、気づいたら、横にいるダンナ
はヒマそうに本を読んでいた。

輸血じゃなくて、自分の血をとっておきたいと申し出たことで、話がちょっと脱線したとき、
ダンナは輸血でいいじゃんか!とめんどくさそうに言い切った。

通常なら、輸血が必要な手術ではないそうだ。先生は50件以上手術してきたが一度も輸血することにはいたらなかった。あくまでも念のためのこと。しかし、念のためであれ、他人の血をもらうなら、自分の血をとっておけばいいのではと思ったのだ。また、輸血を使うことはリスクがある。
エイズもなんとか肝炎も、100%安全とは言い切れない。

結局、自己血ではなく、輸血にすることにした。

ダンナは、途中で、仕事あるから、と帰って行った。

●9月26日
もともと胃かすい臓らへんが痛い、ということで内科を受診した。
そこで、すい臓を調べるのに、血液検査でひっかかったのが、CA19-9という腫瘍マーカー。
少し数値が高く、気になる存在だった。
腫瘍マーカーという名前のとおり、腫瘍を調べるものらしいが、腎臓は関係ないらしく、ますます、その正体が気になっていたのだ。

で、念のために、婦人科も受診。

子宮ガン検診は2年前にした。もしや、と思っていたが異常なし。

考えてみれば、時々めちゃめちゃ痛む胃も、何度も腸炎になって、のたうちまわったこともある大腸も、今日の検査の子宮も、・・・どれも、先生いわく、「きれいですよー」と言われている。

若いときは、あんなに飲みまくったが、肝臓だって、問題ない。

腎臓だって、機能的には、左右とも「優秀!」と先生から言われた。

なのに、ガンはできた。

そして、体のあちこちが、痛いし、だるい。しかし、痛い胃は、きれいらしい。私の体は
もともと丈夫にできてはいるのだとは思う。でも、体は悲鳴をあげている。いや・・・体ではなくて、
心が悲鳴をあげているのだろう。

婦人科の女性の先生が、腎臓ガンの手術をひかえていることを気遣って、
「手術、がんばってくださいね」と。
その言葉が、ものすごくありがたかった。

●9月27日

こんなページを見つけた。

(腎は生命力の源です。

「気(生命力の源)」を貯蔵する場所なのです。

中国医学で

「五臓の傷は窮まりて必ず腎に及ぶ。」とあります。

つまり、肝臓でも、心臓でも病むと、その影響は必ず、最終的に腎に及ぶということです。

これは裏を返せば「それだけ重要な臓器ですよ。」と解釈出来るでしょう。)


●9月28日

腎臓というのは、冷えを嫌う、冷えに弱い臓器らしい。

実は、次男を生んだあとから、内臓の冷えがかなりひどくなっていた。

冷えは、免疫力を低下させ、いろんな病気を生むそうだ。

●9月30日
どうしてガンになるのかと、免疫革命
という本を買った。

そして、響いたこの言葉

ガンになったということは、それまでの人生の破綻。
ガンをとっても、人生を生き方を変えない限りはまたガンに冒される。

人生の破綻・・・
生き方を変える・・・

きっと、このガンは、生き方を変えるチャンスなんだ。
バカな私は、ガンならないと、生き方を変えることができなかったわけだ。
でも、もう、きっと、私は変わる。変えてみせる。
私は生き方を変えることができる。
ガンは、私に新しい、自分らしい人生を送るために、神様からのプレゼント。
ガンに感謝する日がきっと来る。

●10月1日
知り合いが私を大自然に連れ出してくれた。感謝!

●10月2日
奇跡が起きた。

1年に1回ぐらいしか会えない学生時代の友人4人組が、
それぞれに小さな子供を抱えて、仕事もしているにもかかわらず、
昨日の夜という急な声かけで、
平日の真昼間、会えたのだ。

みんな心配してくれて、・・・本当に、友達というものは、なんでこんなにあったかいの
だろう。

みんなで、すばらしい50代を送れるよう、今、努力しよう!と話した。

すばらしい50代・・

50代になれば、子供たちも大きくなり、私たちはきっと、もっとたのしく
会えるね!

ああ、元気で生きていたい!と素直にそう思えた。

●10月3日
パソコンがおかしくなり、修理に出す。
午後から、病院。
手術前の腎臓のCTをもう一度とる。
約1か月経つが、ガンは進行はしていない。

●10月4日
また、右腕にじんましんが出る。

●10月4日5日
長男、長崎に修学旅行。
友達たくさん作って、大切にして、たくさん思い出つくるんだよ。

●10月5日
午後3時ごろ、急に背中が苦しくなる。呼吸するのが苦しい。

背中が痛いのか、心臓がいたいのか、苦しくてわけがわからくなってくる。

あっためたり、30分、いろいろやったが、まったくよくならない。

横にもなれない、座ることもできない。

できる唯一の姿勢は、背中を丸くして、腕を机について、立っていること。

救急車か・・

と思ったけど、苦しすぎて、言葉が出ない。
しゃべるより、動くほうがマシだったので、タクシーつかまえて病院へ。

腎臓のガンにはまったく関係ないといわれ、総合科へいく。

過呼吸と脱水症状になっていたそうだ。

口に紙袋をかぶせられて、1すって、5吐いて、を繰り返したら、
うそのようによくなった。

それにしても、心臓までおかしくなった?とびくついたので、
よかった。それにしても、くるしかった。

●10月7日
また、急に背中がくるしくなって、過呼吸になる。
口に袋をかぶって、呼吸して、なんとか・・・。

●10月8日
いよいよ、入院の日、あさってになった。
友人が手術の日につきそおうか?と。
3、4時間かかるらしいから、つきそわなくてもいいよ、と言ったけど、やはり、
そんな思いやりがうれしい。

みんなやさしい。
いろんな人の、思いやりが身にしみる。

●10月9日
別の友人がまたつきそおうか、と。
いいよ。入院したら検査がいくつかあるし、手術は3、4時間もかかるらしいし、
待ってても大変だからと、ありがとうと断った。
友人が、「みとこは、なんでもひとりでがんばろうとするからね。でもこういう時は
たよっていいんだよ」と。
本当に、うれしいよ。ありがとう。

●10月10日
入院。

それでは、生まれ変わってきます!
じゃあ、また。

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●発行人:久米美都子 (表向きは夫婦別姓・戸籍は栢野美都子

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Posted by ベンチャー大学の栢野/かやの at 09:08│Comments(0)
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