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2008年03月12日

夢をカタチに。





石川さん 昨日、3時間の接近戦をさせていただいた、私が敬愛する人情派の経営コンサルタント「かたつむり」石川さんブログ より。




大いなる先輩たち

 (沖縄→大分→)福岡の地に住んで25年余、多くの人たちとのご縁に触れ、出会いに感動・感銘を受けて来ている。世の中には“凄い”と内心で唸る先人・先輩たちが隠れているもので、ある。今回はその人たちを紹介してみたい。



大分で知り合った仲間3名との4人で始めた住宅リフォーム会社は1年で、あえなく倒産。私には多大な負債だけが残った。誰一人として知人の居ない地に独り残され、債権者に追われる毎日だった・・・。(その後、コンサルで再起し、数年前に完済)






飛び込んで来たSMIのセールスマンに、何か勉強会のような集まりはないものか?と訊ねると、熊本の原始仏教研究家・田辺聖恵先生の「人間経営塾」を紹介された。ここで初めて森信三のことを耳にした。長崎の深沢さんに誘われ自宅を訪ねると絵に描いたような“清貧”生活に驚いた。田辺先生が亡くなった時は、衝撃だった。その後、深沢さんが月刊誌『致知』を読む交流会を始めるというので、参加すると、上瀧満儀さん(長寿ラーメン店主)や後で青柳親男さん(福岡魚市場・相談役)、上原さんらと知り合った。それが木鶏クラブだった。

青柳親男さんは、今年喜寿を迎えた、とお便りが届いた。




随分前に農林水産大臣賞を授与したお祝いの宴を思い出した。朝3時の男である。若い。お世話人でも有り、現在でもハガキの集いを主宰し、政治家の後援なども頼まれたら断れない。そんな人である。




若い、といえば圓藤泰久さん(福岡ニット会長)。十五才の頃から編物の世界に飛び込んで50年になると笑う。中国には1000人余の従業員を抱え、今は小国町に羊を飼って、その毛でセーターを編むことを楽しんでいる。同じ中小企業家同友会の道志でもある。

青柳さんの代役で広島の「はがき祭り」に出席した。




ここで感動の講演を聴いた。ご主人が原爆に遭った内容で、戦争の苦しみは沖縄だではないことを知った。森岡まさ子ママのお話で、早速第3回かたつむりの集いで講演を頂いた。森岡ママは坂村真民先生(詩人)・岡田武彦先生(東洋の心を学ぶ会)と同じ明治生まれである。森岡ママに惚れこんだのが矢頭宣男・美世子夫妻だった。




はがき祭りで、坂田信道さん(はがき道主宰)ら多くの人たちと知り合い、そこに後の兄弟分・西野博通(やずやグループ未来館・社長)が参加していた。




広島には、安藤英一さん(サンゲン社長)がいて、安藤さんのご案内で障害を持ちながら詩絵を書く、はらみちおさんを自宅に訪ね、感激に心震えた。




木原伸雄さん(マルコシ相談役)も居る。この人は癌でも死なない人で、その謙虚で実直な生き方には頭が下がる。掃除の名人・鍵山秀三郎さんの高弟でもある。全国に広がる「掃除に学ぶ会」には小松基壽さん(木鶏クラブ会員)や豊田詔子さん(第7回かたつむりの集い・講師)ら多くの知人たちも参加している。

癌で死なない人をもうお一人、松尾時雄さん(エムアイ社長)である。電話を入れると今にも死にそうな声で応えるのだが・・・、どうして、どうして、今では少しくらい酒も飲める、というではないですか。この人と矢頭兄と私は一時「三馬鹿トリオ」とカアチャンたちから呼ばれてた時期があった。懐かしい・・・なぁ。毎晩のようにつるんで飲み歩いていた・・・。




飲み歩く先輩といえば、副島勲さん(オレンジライフ社長、キュー電化システム協同組合・理事長)とその仲間・花田兄弟、松尾さんたちとも、ずいぶん飲み歩き、カラオケのマイクを奪い合った。この人に俳句の手ほどきをしたのが、春日の隠居こと上村禎彦さん(デザイナー、どんたく隊隊長)である。

今朝の妻 同じ機嫌の 風車

この頃の副島さんの一句である。

緒方世喜子さん(元福岡県教育長、二〇〇七年の会会長)は、日本酒党で、実に美味しそうに杯を傾ける。つい誘われて、こちらも飲んでしまう雰囲気をもつ人で、きれいな日本語を使うことに感銘を受けている。二〇〇七年の会主宰の権藤宣威さんは広告マンらしく何でもござれ。田辺さんは実直・真面目。この人こそ政治の世界に出るべきだ、と思う・・・。飲む、打つ、買う、遊びの世界がある。




打つといえば囲碁に心奪われて、久しい。少年野球に少年囲碁教室の夏秋庸彦先生はユーモアの人で、どうしてこんなに女性にモテルのか?不思議でしょうがない私である・・・。そうです。マメなのです。




もうお一人、マメなのが呑み打つ仲間の泉さん。マメに囲碁の勉強しているのだ。夏秋先生の高弟で、子供たちに教えることもマメなのである。子供たちや大人たちに教えるもうお一人が清水先生。元教授だけあって、教え子に習った陽水に小椋などニューミュージックを声高らかに唄い、豪快に笑う。もう・・・、負ける。



勝負の負ケが込んでいるのが小西さんに・・・、悔しいので自宅まで押しかけて打つのだが、また負ケて、自棄酒で、とぼとぼ坂を下る私ナノだ。

酒で忘れられない人が居る。大阪駅で、目が合うなり・・・、うお~と抱き合って、そのまま階上の居酒屋で乾杯したのは黒瀬昇次郎会長(ミリオン珈琲貿易、最初のかたつむりの集い講師)。不良性老人の名刺を持つ黒瀬会長の著書「中村久子の生涯」を友人から貰い、読み進むうちに文字がかすんで見えなくなった・・・。胸熱くなった。




(こんな人が居たんだ)と反省もした。両手両足切断の記録とすさまじい生き方に震えるままに筆を握っていた。



かたつむりに掲載すると大きな反響が全国の会員から届いた。その時、私は黒瀬会長に断りもなく発表したことに気づき、直ぐにお詫びの電話を入れる。




「ああ、そうですか、それはありがとう」というお返事にまた感銘を受け、その足で大阪に向かったのだった。その後、各地を巡り講演していただいた。特に奥様には、沖縄に喜んでいただいた。沖縄への招待は、糸数哲夫先生(糸数税理士事務所・所長)で、私を故郷での最初の講演会を開催して頂いた恩人である。




 私を弟子にして下さい、と会談中に急に立ち上がって、大正10年生まれ、白髪の黒瀬会長にお願いしたのは奈良の東田幹章さん(創業100年の東栄工業・社長)。黒い部屋を二人で訪ねた際だった。びっくりしたが、東田さんらしい光景だった。

 そしてまた、飲んで楽しかったのは、岡田武彦先生だった。尊敬の念がいつまでも続く。余韻が去らない先生だった。一緒に全国の勉強会を横につなぐ「知恵の輪全国大会・人祭り」を“うん、やろうよ”と四国で手を握ったのは森山文彦さんだ。森山さんのご紹介で岡田先生を自宅に訪ねた。それから「東洋の心を学ぶ会」へ出席するようになった。勉強会が終っての直会(なおらい)が愉快だった。




 目の不自由になった先生の筆代わりにワープロを打ったのが森山さんで、今も遺稿の整理に余念がない。



 筆代わりといえば、坂村真民先生のお世話役の片山克さんが居る。木山マキ子さんからのお誘いで北九州から船で愛媛に向かった。道後温泉で朝風呂。それから真民先生を自宅に訪ねた。まるで娘のようにマキ子さんを迎える先生に感銘を受けたことを想い出した。




 片山さんは銀行を辞めてから傾倒してきた真民先生のお世話を続ける。森信三先生の寺田一清さんも森山さんも同様なお気持ちだろう、と羨ましくもある。

 二度とない人生だから/つゆぐさのつゆにも/めぐりあいのふしぎを想い/足をとどめてみつめてゆこう、好きな詩の一つである。
 
 こうして振り返り、回想すると実に多くの方々に巡り会い、恵まれてきたと改めて感謝の念が湧く。ありがとうございます、と舞鶴城か油山に登り、空に向かって叫びたくもなる。




その中でも、矢頭宣男とのご縁は強い絆になった。今年7回忌を迎えたが・・・、今直私の中では、生きている、のだ。確実に出会いからの私の生き方に、大きな影響を受けている。心の底に棲みついている・・・のだ。




三つ違いの兄貴分だが、親子関係、夫婦のあり方、家族のあり方、想い。仕事への情熱、酒の飲み方、遊び方、人付き合い、陰徳を積む・・・、上げれば切りがないほどのことを見て、教わった。あれはいつだったろうか、アクロスを借り切っての「人祭り」(知恵の輪全国大会)でスポンサーをサントリーにお願いに行った。その際、島田一郎支社長と初めてお会いした。後に矢頭さんの同志社での先輩だと知った。その島田支社長からのお誘いで、田邑に集まることになった。私は人選した。池田正義さん(日本経済新聞・支社長)をお誘いし、島田さん、矢頭さんに紹介し、宴席となった。今思い出しても愉快だった。よく聴き、よく話す矢頭兄の姿は、相手を思いやる、そのものだった。サービス精神が旺盛なのだった・・・。




その時の一筆は田邑の壁に掛かっていた。

 倒産後の私の苦しい時代、大きな出会いの人がいる。




 手島英子さんだ。娘の法子さんの紹介で田川に訪ね、商店街の店舗で勉強会が始まった。フルベール化粧品の傘下の販売店主たちと学習した。名づけて「元気塾」。その中にお一人、身長1メートルくらいの小さな人がいた。豊田詔子さんである。その学ぶ姿勢・前向きな気持ちには心打たれた。生まれついての筋ジストロフィーで関節が固まってしまうという障害をもつが、その明るさには、つい障害を忘れさせてしまう。積極な人である。




 元気塾が始まって、直ぐにショールーム兼事務所の建設が始まった。私は泊り込み状態でオープニングの企画に入った。すると娘の法子さん(カラーアナリスト)も香椎のマンションで独立するという。両方を掛け持ちで仕事させてもらった。この春に息子を亡くし、今英子さんは、体調不良な状態にあるが、必ずや元気な姿を見せてくれるものと、信じている。

 多くの出会いの皆さんと私を結ぶものの一つが、この「かたつむり」である。
 来年は創刊から20周年にもなる・・・。自分で考えても不思議に続いている。おかしなものだが続いているし、続いてきた。これも多くの会員の皆さんのおかげで、ある。

 同じイシカワでも、石河岩夫さん(お菓子のイシカワ会長)の川は大きな河・・・、黄河だ。時々、かたつむりの感想や切抜きなどの情報を提供していただく。去年は20周年の講師に招かれ、話した。




 石河さんは菓子業界全体のことを考え、同業他社と組んでの勉強会なども開催され、経営計画書も策定してるのにも、また驚いた。真向法の指導者でもあり、よく笑う。




 武道の指導者でもある神脇孝光さんと屋久島に20年振りに渡ったのは数年前、ウコンを栽培する内田喜一さんを訪ねた。このウコンを神脇さんが販売するというので、その企画を請けたのだった。わおっ、こんな大きなウコンが・・・、私は土地の持つ力に本当にびっくり、した。沖縄にできるものの数倍はある。花も大きい。しかも味・香りがいいのだ。




 今朝もウコンで歯を磨く。

 今回も多くの人たちとの縁を想いだしながら、書きました。




 ここに出なかった多くの先輩たちよ、また改めてご紹介したいと思います。




 (どうしているのだろう・・・)機会あるごとに、想い出しています。お元気で、




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こんな石川さん(プロフィール  公式HP )が、日めくりカレンダーを出した。




石川日めくり表紙 大物条件 















奇跡

石川さんは顧問先指導の傍ら、この言葉を元に、全国を講演で廻っている。


前から石川さんは20年前から毎月発行している一人新聞ニュースレター「かたつむり」に、様々な詩を発表していたが、出版社にファンがいて、勝手にまとめて今回出版。この大阪のJDC出版の社長がどうも変人 らしい。←HPはあるが、ようわからん。劇団もしている女優?どうでもいいけど、石川さんの日めくりをアマゾンとかで買えるようにしてくれ!現在は関西の本屋とかで発売中とか。




が、想った。オレも将来、日めくりカレンダーを出そう。というか、知ってる人は知ってるが、オレの事務所は様々人の格言や訓辞や自分で書いた言葉の張り紙だらけ。壁は勿論、トイレや自宅も言葉だらけ。こういうのが大好きだ。



栢野事務所 事務所2 















事務所3

自堕落なので、常に目にしてないと忘れるし、なんというか、こういう雰囲気というか、自己満足的な修行というか、そんな気分が好きなのだ。で、アチコチにべたべた貼るのもスペースが足りない。そうか、自分オリジナルの日めくりカレンダーを創ればいいのだ。


師匠の相田みつを、田中真澄、石川元則の各氏は日めくりを創った。竹田先生も格言ハガキ を創ったばかり。矢頭宣男は相田みつをのカレンダーを配りまくり、佐賀北高校で有名になった詩人のカレンダーも創った。オレも創ろう。


が、オレがやるなら自分の格言だけではエラソウだ。人のフンドシ講演家らしく、オレが尊敬する人の格言+解説文+プロフィールを加え、いわば「逆転バカ社長」+「小さな会社★儲けのルール」 の日めくり版にすればいいのだな。よし、やろう。ネタは山ほどあるから、本気でやれば年内に完成するな。



よし、やるぞ。うん、これはいい。本は大体一度しか読まない。講演も教材もそうだ。


日めくりなら毎日確認できる+携帯メールでも毎日発信するのだ。素晴らしい!


★私の夢その55


「日めくりカレンダーを2007年12/25迄に完成する」+その内容を携帯メールで毎日自動配信。


日々目に触れるようにし、日々の行動計画実行のサポートとする。どうだ!


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Posted by ベンチャー大学の栢野/かやの at 10:10Comments(0)