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2007年09月03日

沖縄女

 沖縄・笠置が撮った写真。仕事しろ。


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スタローン54回の失敗のあと、人生を逆転したシルベスター・スタローン ニューヨークの無法地帯ヘルズ・キッチン(地獄の台所、マンハッタンの西34丁目から西59丁目にかけてと8番街からハドソン河畔までの区域、アイリッシュとシチリアン多数在住)に生まれ育つ。出産時に医師のミスにより顔面の左側(特に唇、顎、舌)の神経に傷がつき麻痺を起こしたことが原因で言語障害を発症。崩れた容姿と脆弱な性格は常に周辺からいじめの対象となっていた(このトラウマは現在も残る)。12歳の時に両親が離婚したことを切っ掛けに次第に素行不良になる。小学校から高等学校修了までに14の学校から放校処分を受け、母親の経営するボクシングジムで体を鍛えながらも荒れた生活を続けた。


体育奨学金を得て入学したレザンアメリカンスクール在籍時に演劇に興味を持ち始めマイアミ大学の演劇学科に入学するも授業料の支払いが困難となり2年で中退。23才で生誕地のニューヨークに戻り本格的に俳優を志すも、与えられる役は常に台詞の少ない端役ばかりでポルノ映画への出演や用心棒などをこなして日銭を稼ぐ極貧生活が長く続いた。この間54回のオーディションに落ちる


1975年、29歳の時、観戦したボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリ対チャック・ウェプナー」の試合に感銘を受け、それをヒントに僅か3日で書き上げた脚本をもって製作所に売り込む。この脚本が映画化された『ロッキー』が世界的な規模で大ヒット(詳細は『ロッキー』の項で記述)し、同年のアカデミー賞を受賞。映画の主人公の境遇とスタローン自身のそれが「荒んだ生活から一夜にして栄光を掴む」という“アメリカン・ドリーム”を体現した点で共通していることから大変な話題を呼び、多くの人間に希望を与えた功績は評価されうるものである。ウィキペディアより。


うーん、売れない俳優だったとは聞いていたが、ここまでスタローンの前半生が酷かったとは知らなかった。顔も確かにハンサムとは言えないな。54回のオーディションに落ちる=いや、最高。普通なら諦めるだろう。諦めきれない何かがあったのか。いずれにせよ、この前半生の屈辱経験があったからこそ、ロッキーの映画に怨念がこもり、ルサンチマンパワーが出たのだ。そうだ。そうに違いない。エリート俳優にはああいう映画は創れなかったはず。あなたは1回や2回や3回や7回や20回の失敗?で諦めてはいないだろうか?自分なりに精一杯頑張ったが、ダメなことも多いだろう。むしろ、大半はそんなものかもしれない。でも、何度失敗しても、もう辞めた!と思っても、やっぱり諦められないことが何かあるはず。ならば、もう一度チャレンジしよう。人生に失敗はない。あるのは学習経験(スタローンの場合は54回!)と成功のみだ!バカ社長


 「逆転バカ社長/天職発見」人生逆転事例の参考に


 

  

Posted by ベンチャー大学の栢野/かやの at 19:00Comments(0)